2011年 06月 01日
南三陸町
5/28、ボランティア1日目が終わり、仙台で各自夕食の後、近くの温泉街のホテルへ素泊まり。
仙台ではボランティア4人で名物の牛タンを頂きました。お疲れ様の生ビールと共に。はぁ、力仕事の後のビールは美味しかった~。
1時間ほど飲んで語って。話しているとやはり皆さん、被災地の現状に興味があって何かをしたくてボランティアに参加した様子。わたしもずっと見たかったです。テレビの中の遠い場所の出来事で終わるのではなく、この現状を自分の目で見なければ何も始まらないと感じていました。何かを共有しなければいずれ日常に紛れてしまう・・・そのことに焦りを感じていました。
ボランティア2日目は、雨が強く中止となってしまいました。
このまま帰るのも・・・というボランティアバスの機転で、「実際に壊滅的な被害を受けた南三陸町を見てみましょう」ということになり、東松島市から北上することになりました。南三陸町ではちょうど、第一回目となる「福興市」もやっているということだったので、それにも行こう!と。
前の晩、みんなで飲んでいる時からわたしはずっと、「次は気仙沼か石巻、南三陸町に行きたい」と言っていたので、急にそのようなチャンスを得てドキドキしました。
南三陸町に入ると、ますますひどくなる景色。
頭の中にはいろんな言葉が浮かぶけれど、「ガレキ以外は何にもない」というところに行きつく。
南三陸町役場、防災対策庁舎だったという建物。
南三陸町は自衛隊や警察が多く、2ヶ月半が経った今もなお、このようなプロしか現場には入れないのかもしれません。
前日、東松島で作業したような泥かきをする家自体がありません。無力感に襲われます。一体何をどうしたらよいのだろう?
震災後、重機も入ってこれでもだいぶ片付いたのかもしれないけれど。
正直、目の前で見ているのに現実感がありません。
テレビを見ているときは涙が出るほどショックだったのに、目の前の光景に感情がうまく出てきません。
けれどそんな心とはウラハラに、ここでわたしは突然生理になってしまう。体は正直なのかもしれません。おい、わたしの腹よ、予定は2週間くらい先だって言ってなかったかい?
もう帰るだけだったのでそんなに困りませんでしたが、女性の方は一応ご準備を。現実感がないとは言え、やっぱりかなり衝撃的です。
このような光景が広がる中、南三陸町の人々は立ち上がり、高台にある志津川中学校では「福興市」が開かれていました。
あいにくの雨だったけれど、宮城県内や全国からも色々な出店が集まり、美味しいご飯と和太鼓の演奏などで盛り上げます。わたしも青森のせんべい汁を頂きました。温かい汁物がじんわりと美味しかったです!
会場の横では自衛隊が活動中。ご苦労さまです!
志津川中学校から見える町の様子。
平和だった日常が少しでも早く戻りますように。
テレビやネットでは、東北地方の方々は寡黙でよそ者を受け入れるのに時間がかかると言われていました。でも今回、ボランティア先でお話しした地元の何人かの方はとても社交的で、こちらから2,3質問を投げかけると、現状や地域の様子、家族のことなど色々とお話ししてくれました。
「この現状を広く知って欲しい」、そんな気持ちが伺えました。
「地元の方と関わりを持つ」ということをひとつの目標として参加した今回のボランティア。
わたしは色々なことをすぐに忘れてしまう人間なので、こうやって実際に繋がりを持つことでしか自分の意識を維持できないことは分かっていました。ですので、第一回目のボランティアはとりあえずミッションコンプリートです!
今後も「あのおばあちゃん、元気かなー?」とか、「あの家の片付け、進んだかなぁ・・・」など、折に触れ思い出すはず。そしてまたきっと、ボランティアに行くはずです。東北の誰かと関わりを持つために。
今回参加したボランティアバスで一緒になった皆さんは本当に良い方々で、安心して作業ができました。またどこかのボランティアセンターでお会いできたら嬉しいです。
仙台ではボランティア4人で名物の牛タンを頂きました。お疲れ様の生ビールと共に。はぁ、力仕事の後のビールは美味しかった~。
1時間ほど飲んで語って。話しているとやはり皆さん、被災地の現状に興味があって何かをしたくてボランティアに参加した様子。わたしもずっと見たかったです。テレビの中の遠い場所の出来事で終わるのではなく、この現状を自分の目で見なければ何も始まらないと感じていました。何かを共有しなければいずれ日常に紛れてしまう・・・そのことに焦りを感じていました。
ボランティア2日目は、雨が強く中止となってしまいました。
このまま帰るのも・・・というボランティアバスの機転で、「実際に壊滅的な被害を受けた南三陸町を見てみましょう」ということになり、東松島市から北上することになりました。南三陸町ではちょうど、第一回目となる「福興市」もやっているということだったので、それにも行こう!と。
前の晩、みんなで飲んでいる時からわたしはずっと、「次は気仙沼か石巻、南三陸町に行きたい」と言っていたので、急にそのようなチャンスを得てドキドキしました。
南三陸町に入ると、ますますひどくなる景色。
頭の中にはいろんな言葉が浮かぶけれど、「ガレキ以外は何にもない」というところに行きつく。
南三陸町役場、防災対策庁舎だったという建物。
南三陸町は自衛隊や警察が多く、2ヶ月半が経った今もなお、このようなプロしか現場には入れないのかもしれません。
前日、東松島で作業したような泥かきをする家自体がありません。無力感に襲われます。一体何をどうしたらよいのだろう?
震災後、重機も入ってこれでもだいぶ片付いたのかもしれないけれど。
正直、目の前で見ているのに現実感がありません。
テレビを見ているときは涙が出るほどショックだったのに、目の前の光景に感情がうまく出てきません。
けれどそんな心とはウラハラに、ここでわたしは突然生理になってしまう。体は正直なのかもしれません。おい、わたしの腹よ、予定は2週間くらい先だって言ってなかったかい?
もう帰るだけだったのでそんなに困りませんでしたが、女性の方は一応ご準備を。現実感がないとは言え、やっぱりかなり衝撃的です。
このような光景が広がる中、南三陸町の人々は立ち上がり、高台にある志津川中学校では「福興市」が開かれていました。
あいにくの雨だったけれど、宮城県内や全国からも色々な出店が集まり、美味しいご飯と和太鼓の演奏などで盛り上げます。わたしも青森のせんべい汁を頂きました。温かい汁物がじんわりと美味しかったです!
会場の横では自衛隊が活動中。ご苦労さまです!
志津川中学校から見える町の様子。
平和だった日常が少しでも早く戻りますように。
テレビやネットでは、東北地方の方々は寡黙でよそ者を受け入れるのに時間がかかると言われていました。でも今回、ボランティア先でお話しした地元の何人かの方はとても社交的で、こちらから2,3質問を投げかけると、現状や地域の様子、家族のことなど色々とお話ししてくれました。
「この現状を広く知って欲しい」、そんな気持ちが伺えました。
「地元の方と関わりを持つ」ということをひとつの目標として参加した今回のボランティア。
わたしは色々なことをすぐに忘れてしまう人間なので、こうやって実際に繋がりを持つことでしか自分の意識を維持できないことは分かっていました。ですので、第一回目のボランティアはとりあえずミッションコンプリートです!
今後も「あのおばあちゃん、元気かなー?」とか、「あの家の片付け、進んだかなぁ・・・」など、折に触れ思い出すはず。そしてまたきっと、ボランティアに行くはずです。東北の誰かと関わりを持つために。
今回参加したボランティアバスで一緒になった皆さんは本当に良い方々で、安心して作業ができました。またどこかのボランティアセンターでお会いできたら嬉しいです。
by necochan2010
| 2011-06-01 15:09
| ボランティア・復興支援関連
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